四の五の言わずにとにかく褒めろ!!!

ミニマリストの思考

 毎月ギリギリの生活をしている自分ではあるけど、そんな自分にも部下や後輩がいる。
 今の自分は新人や後輩を教育する立場にあり、ありがたいことに多くの部下を任せてもらうくらいには慕われている⋯と信じたい。

 そんな自分の教育方針は「褒めること」。これが基準となっている。
 褒める。とにかく褒める。褒める前にも、なにかを指摘する前にも褒める。もちろん褒め方にも千差万別であり、ときには「良い褒め方・悪い褒め方」もあるわけだが、基本的に褒められて嬉しくない人はいない。

 同時に「否定しないこと」も基準にしている。
 「なぜあなたはこうしたのか?」という質問の裏には、「あなたにはあなたなりの考えがあり、自分はそれを尊重する」という考えが根底にある。とくに新人の場合は「”何がわからないのか”がわからない」というのが当たり前で、「そんなこと自分で考えろ」はその人の立場の否定にほかならない。

 

 こういう教育方針をやっていて、ふと気がついた。

 どうして自分のことは褒められないんだろう?
 他人にはどんなに些細なことでも褒めるのに、どうして自分のことは簡単に斬り捨てるんだろう?

 相手ができたことに対して褒める。とにかく褒める。手放しで褒める。まずは褒め言葉から入る。なのに、自分が習慣化したいことに対してできたとしても「こんなの当たり前だ」といってバッサリ斬り捨ててしまう。なぜだろうか?

 

 もし仮にあなたの部下が、後輩が、新人がこう言ったらどうだろうか?

 「私は毎日朝5時に起きます。運動不足解消のために、往復30分毎日歩いて通勤しています。絵やブログをかくのが趣味で毎日触るようにしています。寝る前に本を読むのが日課です。今はボディメイクをしたくて週3で15分ほど家でトレーニングを始めました。食費を抑えたくて週2で自炊をして、たまの外食は美味しく感じます。夜は10時、遅くても0時前には寝るようにしています。去年は富士山に登りたいという夢を叶えてきました。」

 自分なら即答で「え、ヤッバ!!!めっちゃすごいやん!!!ハア???俺とか絶対いらんやろ⋯。」と言うだろう。
 ちなみに。上の文章は、すべて今自分がやっていること&取り組んでいることである。
こうやって文章にして客観視すると、自分もなかなかすごいことやってるんだなあと実感できる。

 

 自分の母親は、一切褒めてはくれなかった。
 何かをやっても「もっとこうした方がいい」とか、「もっとこうやればいいのに」とか、「ついでにこれもやったほうがいいのに。もったいない。」とか。
 言われたのは、そんな言葉ばかり。本当に本当に、本当に本当に悲しい記憶だ。同時に褒められた記憶もない。本当に褒められた記憶がないのか?と疑ってしまう。

 本当は褒めてほしかったのかもしれない。「ねえ見て!これやったんだよ!」と言ったら、「すごいじゃん!よくできたね!」と言ってほしかったのかもしれない。
 でも、返ってくる言葉は「お前はダメだ」の烙印だけ。こんなことをいって人は育つだろうか?言われた人間はずーーーっと満たさない、足りないままだ。書いていてなんだけど本当に辛い。

 

 だから自分は褒める。手放しで褒める。とにかく褒める。子どもに限らず大人も褒めることが大事だ。むしろ大人になってからのほうが褒められることが少なくなる。だったらなおのこと褒めたほうがいい。

 そんな見え透いた褒め言葉をいって恥ずかしくないのか?と言われるかもしれない。だけど、世の中にはそんな「見え透いた褒め言葉」すら言ってもらえなかった人もいるのだ。
 であれば、自分みたいな平々凡々な人間がちょっとくらい「すごいじゃん!」と声をかけるくらい大目に見てほしい。

 それと同じように自分も褒めたほうがいいのかもしれない。今自分も自分で自分を褒める練習をしているところ。とはいっても今の自分だと「は??なに??だからどうした??」とすぐ否定的な反応が返ってくるが仕方がない。最初はそういうものだろう。

 

 今は自分磨きをしている途中。これからも自分を刺したくなる場面はいくらでも出てくるだろう。自分は完璧主義のきらいがある。行ったことに対して事実として受け取れない。1分だけやった行動とか褒める気もしない。
 それでも、自分のことは自分で褒めていく。なぜなら他人が自分を褒めてくれるかどうかなんてわからないけど、自分で褒めるかどうかは自分で決められるのだから。

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