自分がYouTubeを見ながら食事をする理由

自分は1人で食べるとき、必ずといっていいほどYouTubeで動画視聴しながら食事をしている。正確にいえば、家であれば料理をする段階から動画を流している。

理由は明確で、「食事という一連の流れが全く楽しくないから、そのネガティブな感情を紛らわせるため」である。

自分は食事に対して「面倒くさい」「だるい」「嫌い」などなどネガティブな感情がフツフツと沸いてくる。友人などの話を聞く限りだとどうにも自分はその感覚がかなり強いようで、「そんな人がいるなんて信じられない」とまで言われた。

もちろん自分にも好きな食べ物のひとつやふたつはある。好きなものを食べて美味しいと思う。たとえば餃子の王将のニラレバ炒め定食は自分が好きなもののひとつで、行くたびにこれにしたいくらいである。

でもこの「美味しい」が「楽しい」につながることはない。ついでにいえば「嬉しい」とも思わない。まして「幸せ」なんて感じたことがない。明確な分断を感じるし、まさしく「次元が違う」のだ。

極端なことをいってしまえば、自分にとって「食事」とは「毎日やらなければいけない面倒で嫌いなタスク」なのだ。
だって食べなきゃ生きていけないから。死んでしまうから。不健康になってしまうから。不便なことこの上ない。はやく1日1個のサプリメントで賄える時代になってほしいと切実に願っている。

そのネガティブな感情を緩和してくれるのが、YouTubeを視聴しながらの食事だ。
最近は推しのVtuberの配信だったり、なんかいいなと思った個人のvlogだったり、料理系の動画だったり。

これらの動画や配信を見ながら食事をすると気分が紛れる。少なくともネガティブな感情が湧いてこない。これは自分にとっては何よりの「救い」だ。
人間食べなきゃ生きていけない。だけどその食事に対してネガティブな感情を持っている。その感情を緩和して、打ち消してくれる。もはやライフハックのひとつになっている。

ここで強調しておきたいのが「1人でする食事」が嫌なのであって、「他の人との食事」は楽しいと感じることだ。もちろん、他人であれば誰でもいいわけじゃなくて自分にとって居心地の良い人であることが前提だが。

結局のところ、自分は誰かに依存しているんだと思う。自分自身で満たすことができないから、自分以外の「なにか」を求めている。そもそも人間が社会的な動物であるということを加味しても。

それでも、ある種の諦めに近いものを持っている。「あー、自分ってこういう人間なんだな」「まあ適当に食べてれば問題ないでしょ」と。とくに自分を必要以上に追い詰めてしまいがちな自分にとって、この諦めは必要悪だと考えている。

あるいは、もっと楽しくなるような仕組みづくりを考えてもいいかも知れない。自分でやれることはやってみて、ストレスがたまらないようにしてみよう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました