自分の家はある意味「厳しい」家庭で育った。
どんな家庭か。それは「ミスや失敗が許されない家庭」だった。
失敗したら怒られる。
できなかったら怒られる。
できても親が満足する水準じゃないと褒めてもらえなかった。
だから、記憶の中では褒められたことは一度もない。あったとしても、怒られた記憶で埋もれてしまった。
だから、「今の自分は精一杯頑張ってますアピール」と「最初からある程度の水準のものを出す」というクセがついた。
たとえどんな手を使ってでも。
だから自分の中で「できない」「わからない」はネガティブの塊だ。なぜなら親から怒られるから。できなかったら、わからなかったら親から怒られる。それだけは回避したい。なんとかしないと。自分の中でそんな「回路」が出来上がった。
その「回路」はゲームなどの遊びの範疇でもそうだった。
できない、わからないところがあったらすぐに答えを知りたがる。すぐに攻略本を見る。すぐに攻略サイトを見る。もし最終的にできなかったら?怒って諦める。そんな子どもだった。
ゆえに、私は「完璧主義」になった。
ミスや失敗は許されない。なぜなら怒られるから。
最初から完璧なものを出さなければならない。そうすれば怒られずに済むから。
それが、この年になって徐々に崩れてきた。
明確に変わったと思ったのは、富士山登山のために登山を始めたことだ。

富士山の頂上に立ちたい。行ってみたい。だけど登山なんて20年以上したことがない。普段の運動すら怪しい。
ならばどうする?どうやったら富士山山頂まで行けるようになる?
それが自分の中で芽生えた「試行錯誤」だった。
とにかく近くの有名な山に登ってみよう。今自分にできる限りの準備をして。
そして現地で積んだ経験、感じた疑問や課題、これらを検証して、また山に登る。その繰り返し。
荷物はこれでいいのか?ペースはどうだ?他に何があればいい?膝への負担を減らすための歩き方は?この装備はどれくらいの気温までならいけるのか?
これらを繰り返し繰り返し「試行錯誤」し、その結果、2025年7月10日に富士山は剣ヶ峰に到達することができた。
これは紛れもなく、自分の中で自信を持って「できた」といえることだ。
…もっとも、現地は雨が降っていて見晴らしは最悪。雷の恐怖に怯えて下山して感動もクソもなかったのはアレだったが。
この気付きを通してやってみたいことがある。それは「ゲームをすること」だ。

ゲームをする?なにを今更?なにいってるんだコイツ?と思われるかもしれない。
しかし、自分の中で「ゲームをする」ということは「ゲームをクリアすること」であって、ストーリーを楽しむとか、人物の描写を読むとか、ゲームの世界観を想像するとか、そういったことは一切やってこなかった。
テキトーにプレイして、わからなかったらすぐに攻略サイトを見て、事前にボスの倒し方を予習して、ゲームをクリアして、はい終わり。
ゲームが趣味と言いつつ、本当に本当の意味で、ゲームを「してこなかった」のだ。
だから、もう一度、改めて「ゲーム」がやりたい。
ミスしても失敗しても時間がかかってもいいから、自分の思うようにやってゲームを楽しみたい。
それが私のやりたいことリストの一つである。
今はいろんなことを通じて「回路」を書き換えている途中だ。
本当に本当に、いろんなことを損してきたと思う。
もっともっと、試行錯誤しよう。
大丈夫。それは失敗やミスではなくて「遊び」でしかないのだから。

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