なぜあえて捨てるのか?収納では届かない「心の整理」の話

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「捨てるのはもったいない」「収納すればいいじゃない」
そう思うのは自然なこと。
別に見た目をスッキリさせたければ収納すればいいだけの話だし、生活に師匠がなければそのまま置いておいても問題ない。
そもそも「捨てる」というのは結構極端なやり方だ。

けれど私は「あえて捨てる」という選択をしてきた。
収納では得られなかった静けさと、心の自由を手に入れるために。

ここでは「なぜ捨てるのか?」という問いを、心の側面から掘り下げてみようと思う。

なんのために収納するのか?

整理整頓しましょう。きちんと収納しましょう。
そうすることで生活感を抑えることができ、美しい見た目を保つことができますー。

ありふれた言葉だ。実際、整理収納アドバイザーなんて資格もある。
まさにモノに溢れた現代だからこそ生まれた資格だろう。

だけどちょっとだけ立ち止まって考えてほしい。
整理収納することで生活感を抑えることができ、見た目を美しくすることができる、というのはわかる。
誰だってよく見られたい。美しく見られたい。見栄を張りたい。
「自分はこんなキレイな部屋で、家で過ごしてるんですよ」と思われたい。

わかる。わたしだってそうだ。

異性を部屋に呼んだときに「キレイだね」「オシャレだね」と思われなくても、「汚い」「臭い」「散らかってて入りたくない」なんて思われたくない。

しかし、「そもそもなぜ整理収納しなくてはいけない状況になったのか?」を考えなければ、永遠に整理収納に労力を費やすハメになる。
バケツに水を満たそうとしても、底に穴が空いていたらバケツは一生満たされることはない。
穴を塞がなければ、根本的な解決にはならない。
あなたの時間はモノの整理収納するためにあるんじゃない。

整理収納は一時的なその場しのぎ。それを一生かけて同じことを繰り返していく。
そりゃあ今はいいかもしれない。人間、遠い未来のことなんて考えられないのが当たり前。1週間先だって難しいのに、まして1年、3年、5年、10年先のことを考えるなんて。
でもあなたは70歳80歳になっても整理収納をやり続けたい?怪我や病気をしても?死ぬその時まで「ああ、あそこにシンデレラフィットする小物入れはないかしら」と思いたい?

わたしの答えは”NO”だった。
だからわたしは手放すことをーバケツに空いた穴を塞ぐことを選んだ。

なぜあなたは捨てられないのか?

「捨てられない」には様々な理由がある。
多くの場合は
色々理由はあるが、そのひとつに「自分の判断が間違っていた」という事実を認めたくないから、というのがある。

これはとても辛いことだ。
モノを捨てるということは、モノを買ったお金とそのお金を稼ぐために働いた時間が丸々損した、とも言えてしまうから。

「まだ使える」「高かったんだし無駄にしたくない」「捨てるなんてもったいない」
だけど買ったお金と時間はどうあっても取り戻せないし、使ってない時点でもったいないという現実。その現実を直視したくない。だから取っておく。
だけどそこまでいくと、もはやモノに人生を支配されていると言ってもいい。
あなたの人生を豊かにするためにモノがあるのであって、その逆ではない。

間違った「もったいない」の使い方

「まだ使えるのに捨てるなんてもったいない」
“発掘”するまで存在を忘れていた上に、モノ本来の機能と価値を発揮させなかった挙げ句、「まだ使えるのに捨てるなんてもったいない」といってまた死蔵させる。
これこそまさに「もったいない」だ。
“それ”がなくても今まで十分生活できていたはず。だから手元になくてもなにも変わらない。

似たような話が引っ越ししたあとによくある。
段ボールでいっぱいの新居。ここが新しい自分の城。
さっそく荷造りした段ボールの山を片付けていく。
とにかく服がないと外に出られない。コップがないと水を飲むときに不便だ。それから仕事道具はどこにしまっただろうか…。

…なんて過ごしているうちに1週間、2週間、1ヶ月、3ヶ月、半年、1年…と経っていく。
その中で出てくる「何ヶ月も開けていない段ボールたち」の存在。

おかしい。これらは「必要だから」と思って荷造りしたはず。だからここにある。
なのに1年たった今でも開けていないというのはどういうことか。
「必要だから」と思って持ってきた。なのに開けていない。だけど生活できている。
じゃあこの段ボールたちは一体なに?

この矛盾に耐えることができない。だからとりあえずとっておく。しまっておく。「もったいないから」と。
そして新しいモノとの出会いの機会を失っている。
本当に「もったいない」ことだ。

お金と時間をかけて買った、なのに使わない。それが一番もったいないのだ。

結論:「捨てる」は“空白”ではなく、“余白”

モノが減ると身軽になれる。
この身軽さというのはモノを持っていないという物理的なことはもちろん、モノに人生を縛られないという自由も含まれている。

わたしたちの日常は、まるでガラクタをひっくり返したような喧騒に生きている。
現代はモノが溢れている。溢れすぎている。溢れかえっている。
手放しまくった最初は少し寂しさを覚えるかもしれない。
けれど、それは「失う寂しさ」ではなく、「静けさに慣れていないだけ」。

静けさに慣れると、その中に安心が生まれる。
それが“足るを知る”という感覚。

捨てるとは、
モノを減らすことではなく、
自分の人生をモノから取り戻すこと。
そこにこそ、本当の豊かさが眠っている。

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