なんだかわからないけど、とにかくなにもかもがしんどい。
家では親があれやこれやと口を出し、学校の成績は中の中の下。友達といえる人も少なく、数少ない友だちと話したその日は一人反省会。
受験日が迫るたびに不安に押しつぶされそうになり、いざ進学したら進学したで今度は単位や生活費の不安に悩まされ。特別やりたいこともあるわけでもなし、むしろやりたくないことだらけ。
なにかの拍子に上手くいくことがあっても、ふと気づけば心の中はまったく満たされなくてむなしい毎日ー。
これがかつての私だった。
今もたいがい難儀な性格をしていると自覚してるけど、15年以上前の私はもっっっと偏屈で難儀な性格をした人間だった。
あまりにも救いがたい性格をしていて「こりゃあ本格的に手を打たないとこのまま自滅する。文字通り死ぬしかない。」と自覚するように。
そこで出会ったのがデール・カーネギー著書の「人を動かす」と「道は開ける」だった。
この2冊はたいへんお世話になった。20代の頃に読んでおきたかった本。
とくに「人を動かす」を読んだときの、あの目から鱗が落ちる感覚は一生涯忘れられない。ブッダ!この世はなんて広いんだ!こんな世界があるだなんて知らなかった!
この2冊をきっかけに、私は読書にのめり込んだと言っても過言ではない。
しかし、読み慣れてくるとひとつ問題、違和感を覚えるようになった。
というのも、著者であるデール・カーネギーはキリスト教徒で、彼の本の内容および思想の基盤にはキリスト教的な価値観や影響が多々見られた。
とくに「道は開ける」では顕著で、読んでいても「いや、たしかに言わんとすることはわかるけどさあ…」と、どーーーしても相容れない、受け入れられない部分も多かった。
「自分の理解が浅いのかもしれない」と思って本の内容を試したり(例:寝る前に祈るなど)、独学でキリスト教を勉強したり、教会に足を運んでみたりもした。
しかし、相変わらず私のなかではボヤッとしたままでどーーーしても腑に落ちなかった。
そんな中で出会ったのが仏教だった。
仏教、すなわちブッダが説いた話は非常に合理的であり、合理的な考え方が大好物だった私にはこれがめっっっちゃ効いた。ポケモンでいうならひこう・みずタイプに10万ボルトを当てたようなものである。
折しもそのとき、ちょうどミニマリズムにも出会っていた。
ミニマリズムには禅の心が宿っている。ミニマリストの世界では有名なかのスティーブ・ジョブズも禅に傾倒していたのは有名な話。
日本生まれ日本育ちの日本人が、ミニマリズムと禅と仏教と相性がいいと感じる。もはや必然だったのかもしれない。
仏教に触れたとき、私がまず驚いたのは「こんなにも合理的な教えがあるのか」という点だった。
“苦しみ(ドゥッカ)は、外側ではなく自分の内側から生まれる””生きることは苦しみである”
という考え方は、あまりにもシンプルで、あまりにも残酷で、そして誰よりも私にとっては救いだった。
なぜなら、私が読んできた本の多くは「幸せはすでに持っている」とか「もっと良いところに目を向けなさい」とか「あなたは幸せになるべきだ」とか、そういう言葉ばかりだった。
もちろん、これらは間違ったことを言っているわけじゃないと今の自分ならわかる。だけど、最初の頃こそ「そうだったんだ!」となれど、何度も同じことを見聞きすれば「なんかボンヤリとした言葉じゃない??」と懐疑的にすらなった。
だけど仏教は違った。
生きることは苦しみがあるということ。人はそれから逃れられないこと。決して楽なものではないということ。
仏教はそこを真正面から突いてくる。
上記の言葉たちのように、事実を言いたくないがために、なんだか当たり障りのない言葉を使ってどうにか避けようとする、そんな魂胆すら感じていた自分にとって、まるで暗い部屋の電気がパッとついたような感覚があった。
そして気づいた。
ああ、自分は「満たされたい」と願いながら、満たされないものばかり抱きしめていたのだ、と。
そこから、私の生活は静かに変わり始めた。
物が少ないから静かになるのではなく、心を静かにするために、物を減らしていたのだと腑に落ちた瞬間、ミニマリズムは節約術でも流行でもなくなった。
仏教の「手放す」「執着しない」という考え方は、ミニマリズムの基礎にある哲学だったのだと、ようやく理解できた。
たとえば部屋から物が消えると、そこに空白ではなく余白が生まれる。
時間が空くと、そこには退屈ではなく休息が生まれる。
「足るを知る」という言葉に、ようやく実感が伴い始めた。
ないけれど、困っていない。
少ないけれど、満ちている。
不便は不幸じゃない。
貧乏ミニマリストの暮らしが苦しくない理由は、
稼ぎが増えたからでも、生活レベルを落としたからでもない。
「心の飽和ライン」が変わったからだ。
また、実生活に役に立つかどうか、という点でも仏教は学んで良かった。
たとえば気が散るものが多い現代で、眼の前のことただひとつに集中するー作務ーこれを実践し始めて私の集中力は大幅に上がった。
朝起きて仕事に行く前、職場や部屋で作業をする前、そして寝る前。このタイミングで行う瞑想は心の安定と「よっしゃ!今から眼の前のことに集中するぞ!」という儀式となり、私の生活に欠かせないものになった。
仏教とミニマリズムは、私の中でひとつにつながった。
“少ないことで満ちる”という感覚が、ようやく理解できたからだ。

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