お金で決めない買い物の話。富士山に40万円かけた理由

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先日、友人と話していたときのこと。

昔ハマっていたゲームが、このたびリメイクされるらしい。
デモプレイを見ても文句なし。絶対面白いに決まっているとは友人の談。

へーええやん買ったらええやん。と言ったら友人が一言。

「定価では買いたくない」

この言葉に、私はなんともいえない虚無感を味わった。

面白そうだ!やってみたい!ほしい!
なのに判断基準がお金になってしまっている。

本来、心から欲しいと思ったものならば、金額はさしたる問題ではないはずだ。
だけど欲しいと思ったその次にはお金のことを考えてしまう。そして二の足を踏んでしまう。
そうしていくうちに、どんどん基準が「お金」にスライドしていく。自分ではない、なにかに。

セールや割引、ポイントなどもそうだ。
「お得だから」買ったのだろうか?だとしたら「お得じゃなかった」ら、それは買わなくても理論上よかったはず。
10000円のものが70%オフになった。7000円もお得!もう買っちゃおう!
間違ってる。7000円得したわけでも、まして増えたわけでもない。3000円、減ったのだ。確実に。

では私の場合はどうか?

私は去年、富士山登山に行ってきた。人生のやりたいことリストのひとつ「富士山山頂に立つ」という夢を叶えるために。

今まで登山なんてやってこなかったから、登山道具はすべて揃えた。専用のリュック、トレッキングブーツ、トレッキングポール、ちゃんとしたレインウェア…これだけでも7万近くかかってる。

トレーニングするために1年間、地元の山々を登ってきた。
そのためには交通費がかかる。場合によっては駐車場代も。山頂で食べるおにぎりひとつ梅干しひとつだってタダじゃない。みんなみんなお金がかかってる。

富士山登山スケジュールもそう。
電車代、飛行機代、ホテル代、バス代、食事代、山小屋泊の宿泊代、もしものための保険代…さらに去年から入山料として4000円支払うようになった。3泊4日の行程でトータル10万円近くかかってる。
富士山に登りたい!と思い立ってその頂に立つまでに、総合すれば40万は余裕で超えているだろう。

だけど私は惜しまなかった。なぜか?自分の夢のためだったから。自分のためだったから。自分の人生を生きたかったから。
他の人からすれば、それこそ登山なんて苦行と思ってる人は「金も時間もかけてよーやるわ」と思われるのがオチだろう。
だがそんなものどうでもいい。私は夢を叶えた。自分の夢を。そのためにお金を使った。お金とはこういうことに使うものなんだと自分の人生を通して理解した。

私は貧乏だ。だからこそ、お金の使い道だけは自分で決めたい。
セールかどうかではなくて、

「これは自分の人生を前に進めるか?」

その問いに、これからも正直でいたい。

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